2009年03月31日

ハンガリー舞曲

ドイツ・ハンブルク生まれウィーンで活躍したヨハネス・ブラームス(JohannesBrahms,1833-1897)作曲ハンガリー舞曲第5番(Hungarian Dance No.5)です。当時はオーストリア=ハンガリー帝国でオーストリアとハンガリーとの交易が盛んな時期でした。ブラームスもハンガリーを旅をしながら、ハンガリーのあちらこちらで聴いた民俗音楽をスケッチしていきました。それらまとめ、編曲したのがこのハンガリー舞曲です。ハンガリー舞曲は21番までありますが、,とりわけこの第5番が有名です。TVのバラエティ番組やCMでも多く使われています。もともとピアノ連弾用に作られたのですが、後世別人がオーケストラ用に編曲しました。

ピアノ連弾


オーケストラ
posted by とある音楽家 at 08:18| Comment(37) | CM、TV番組での音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月29日

ヘンデル2

作曲家ゲオルク・ヘンデル(Georg Händel 1685-1759)は、オペラを約40、オラトリオ(宗教色のあるオペラ)を約30も作りあげました。現在ではオペラ・オラトリオとして上演されることは少ないのです。しかし、それらの中には数々の名曲があります。歌い継がれています。

オペラ「リナルド(Rinaldo)」よりアリア「私を泣かせてください(LASCIA CH'IO PIANGA)」


オペラ「セルセ(Serse)」よりアリア「懐かしい木陰よ(Ombra mai fù)」
posted by とある音楽家 at 09:25| Comment(22) | 作曲家たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月28日

ヘンデル

作曲家ゲオルク・ヘンデル(Georg Händel 1685-1759)2009年はヘンデル没後250年にあたります。命日にはヘンデルの代表作をご紹介するとして、記念の年なので数回に分けてたエピソードをご紹介しましょう。

もともとヘンデルはドイツのザクセン=アンハルト州のハレというところで生まれました。1710年ハノーファー選帝侯の宮廷楽長となりました。ロンドンに演奏旅行中、ロンドンがお気に入りだったのでしょう宮廷楽長の地位はそのままにロンドンに居残ります。(1712年)ハノーファー選帝侯がヘンデルに再三再四、帰国命令を出しますが無視します。

ロンドン暮らしを謳歌していたヘンデルにとって衝撃のニュースが入ってきます。なんと1714年のイギリスのアン女王の死去に伴い、ハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることになったのです。さぁどうしましょう、当然ハノーファー選帝侯はカンカンに怒っているはず

そこでヘンデルは一計を案じます。ハノーファー選帝侯(ジョージ1世)がテムズ川での舟遊びの際にヘンデルが演奏すること。そのための曲を作りましたが,それが今日ご紹介する「組曲水上の音楽(Water Music)」です。そのおかげかどうか、どうやら和解に達したようです。その後、ヘンデルは1727年イギリスに正式に帰化しました。

組曲水上の音楽(Water Music)は、3つの組曲から構成されています。第1組曲はオーボエ・ホルン主体、第2組曲はトランペット主体、第3組曲はフルート・リコーダー主体となっています。 このうちよく聴かれる第2組曲より「アラ・ホーンパイプ(Alla Hornpipe)」をどうぞ。テムズ川の上で謝っているヘンデルの姿が思い浮かびますか




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2009年03月24日

ワルキューレの騎行

ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner,1813-1883)が生涯をかけて作り上げたオペラ「ニーベルングの指環」。これまでにワーグナー作品として「ローエングリン」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を紹介しました。このオペラ「ニーベルングの指環」の上演時間は、なんと15時間もあるのです。史上最も長いオペラといっていいでしょう。当然一夜だけでは終わりません。「ニーベルングの指環」は「序夜・ラインの黄金」「第一夜・ワルキューレ」「第二夜・ジークフリート」「第三夜・神々の黄昏」の4部に分かれています。それぞれ単体で上演されることが多いのですがバトロイト音楽祭では、4夜連続で「ニーベルングの指環」が上演されます。(途中2日お休みが入ります)バトロイト音楽祭が開催されるバトロイト劇場はドイツ・バイエルン州にあって、ワーグナーが「ニーベルングの指環」を上演するために建てた劇場なのです。普通のオペラ劇場とは異なり、客席からはオーケストラピットが見えません。舞台のみ見えます。音楽だけがどこからともなく聞こえてきます。

「ニーベルングの指環」は、いまでいうRPG(ロールプレイングゲーム)のようなものです。全4夜見こなすためには攻略本が必要です。ワーグナーは、ライトモティーフ(Leitmotiv)示道動機といわれる、登場人物のセリフや歌の内容とは関係の無い音楽を重層的に流し、物語を暗示的にかつ奥行き深く展開させていくのです。例えば、役者が「ごめんね」と謝っているのに、音楽は、のんきで陽気な曲を流す、つまり全然反省していないじゃん!といった感じです。

このうち第一夜「ワルキューレ(Die Walkure)」より第三幕「ワルキューレの騎行(Ride of the Valkyries)」です。
ワルキューレとは、「戦死者を選ぶ者」という意味です。「ワルキューレの騎行」はワルキューレ達が勇士の遺体をヴァルハラに運ぶシーンです。



2009年3月20日よりよりブライアン・シンガー監督、トム・クルーズ主演で映画「ワルキューレ(VALKYRIE)」 が上演されています。
内容は1944年ヒトラー暗殺計画が未遂に終わった際、反乱側が内乱鎮圧計画「ワルキューレ」を利用して権力掌握を計ったものです。
posted by とある音楽家 at 08:19| Comment(2) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

ニコライ・ルービンシテイン

今日は、ロシアの作曲家でありピアニストであったニコライ・ルービンシテイン(1835-1881年3月23日)が逝去した日です。ニコライ・ルービンシテインといわれても?という方が多いでしょう。2月9日の記事でチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」をご紹介しました。


その記事は、ロシアの作曲家チャイコフスキーが友人のニコライ・ルービンシテインと喧嘩して、仲直りしたという話しでした。しかし、そのニコライ・ルービンシテインが46歳という若さで亡くなったのです。チャイコフスキーが友人の死を悼んでピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に(Tchaikovsky Trio a moll Op.50 for Violin Cello and Piano,1882)」を作曲しました。


ヴァイオリンとチェロととピアノの三重奏です。全体的に悲しい曲想になっています。聴きどころは第2楽章その2です。民俗音楽調で明るく始まります。しかし次第に悲しみが支配し始めます。これまで悲しみをこらえて気丈に振舞っていたのが一気にこらえ切れなくなってしまいます。涙があふれてきます。泣いて泣いて泣きつかれて、そして最後の最後、消え入るように静かに音楽が終わります。


第1楽章その1


第1楽章その2


第2楽章その1


第2楽章その2
posted by とある音楽家 at 10:29| Comment(1) | ゆかりの日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月22日

セザール・フランク

ベルギー東部の古都リエージュ出身でフランス・パリを中心に活躍した作曲家セザール・フランク(César Franck,1822-1890)です。フランクの父はフランクをピアニストにしようと幼いころからピアノの英才教育を受けめす。

12歳でリエージュ音楽院を卒業すると家族ごとパリに移住し、フランクはパリ音楽院に入学します。しかしフランクは、ピアニストとしての才能は開花せずに作曲に興味をもちます。

1842年、フランクをピアニストして育てようとしたフランクの父は、そんなフランクに失望しパリ音楽院を退学させ故郷に引き上げます。

1844年、再度単身でパリに移り住みます。作曲家としての評価は低く、協会のオルガン奏者などを収入の糧としていましたが、生活は決して楽ではありませんでした。苦労しながらも作曲家としての才能を徐々に開花させていきました。

1871年、フランクはサン=サーンスやフォーレらとともに「フランス人によるフランスの音楽、そして正当な器楽曲の発展」を目的にフランス国民音楽協会を設立します。

1872年、パリ音楽院のオルガン教授に就任します。フランクは門下生たちに多大なる影響を与えます。

そして円熟期を迎えた64歳のときヴァイオリン・ソナタ(Violin Sonata in A major/sonate pour violon et piano,1886)を発表します。この曲は、同郷の後輩で、当時有名なヴァイオリニストであったウジェーヌ・イザーイ(1858〜1931)の結婚を祝うためのプレゼントとして作られた曲です。「ささやかな手書き譜ひと束、わたしはここに心のすべてをこめました。」この言葉が添えられました。このソナタは19世紀後半のヴァイオリンソナタの最高峰の一つとされ、作曲家としての名声を一気に高めました。評価されていなかった若かりしころの作品までもが高い評価を得るようになりました。

フランクの作品は、リストやワーグナーなどのドイツ音楽の影響を強く受けました。しかし単なるドイツ音楽を写実したものではなくそれを発展させ、ドイツ音楽とはまったく違う様式の音楽を生み出しました。フランクは、フランス近代音楽の生みの親と言われています。また、フランクは、偉大なる作曲家であるとともに偉大なる指導者でもありました。フランクの門下生にはボレロで有名なラヴェルやドビュッシーがいます。のちにドビュッシーはフランクに対立するようになりますが、フランクの没後、ドビュッシーはフランクについてこう語っています。「フランクは、人生から借りうけるものを、ついには名をすてるまでにいたる謙遜な態度で、芸術にかえす」





posted by とある音楽家 at 13:12| Comment(0) | 作曲家たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月19日

バルトーク

ハンガリー出身の作曲家バルトーク・ベーラ(Bartok Bela,1881-1945)ハンガリーは氏名の順が日本と同じで、苗字がバルトーク、名前がベーラになります。

第二次世界大戦開始後、アメリカニューヨークに移住、故郷ハンガリーに帰ることなく同地で没しました。バルトークの青年期、ベートヴェンやモーツァルトに傾注し、ウィーンの音楽院で学びますが、やがて祖国ハンガリーの民謡や伝統音楽に興味を持つようになりハンガリーの首都ブダペストにもどり民族音楽の研究に熱中します。そういった意味でバルトークは、作曲家でもあるのですが民俗音楽学者としても活躍しています。民俗音楽はハンガリーのみならず、東ヨーロッパから北アフリカまで及びました。

ルーマニア舞曲 (Romanian Folk Dances) ピアノ版です。


バルトークの作曲技法は、黄金比やフィボナッチ数列を応用していると言われ、それが現代のジャズにも生かされているようです。

ちなみに フィボナッチ数列は[1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,143,・・・]黄金比は、1:1.618、もっとも美しいといわれる比率であり、自然界で見られたり、エジプトのピラミッドの高さと底辺の比率、レオナルド・ダ・ヴィンチも発見していたという。バルトークの曲の中にダ・ヴィンチコードが含まれているかも

音楽と数学に興味があるかたはぜひ次の書籍をお勧めします。『バルトークの作曲技法』エルネ・レンドヴァイ (著), 谷本 一之 (翻訳)出版社:全音楽譜出版社(ISBN:4118000806)発行日:1978年7月25日サイズ・価格:124ページ ¥2,000(税別)
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2009年03月16日

アヴェ・マリア

「アヴェ・マリア」は、聖母マリアに祈祷をささげるときのことばです。日本語に訳すと「おめでとう,マリア様」または「こんにちは,マリア様」などという意味になります。

聖母マリアへの祈祷文をもとにして、カッチーニ、モーツアルト、シューベルト、モーツアルト、バッハ、グノー、ビゼー、ストラビンスキー、サン=サーンスなど多くの名だたる作曲家がそれぞれの「アヴェ・マリア」を作っています。このうち、シューベルト、グノー、カッチーニの「アヴェ・マリア」が三大「アヴェ・マリア」と呼ばれています。

今日は、一番聴き馴染みのあるジュリオ・カッチーニ(Giulio Caccini,1545-1618)の「アヴェ・マリア」をお聴きください。カッチーニは、イタリア・ルネサンス音楽末期、バロック音楽初期の作曲家であり歌手、ハープ奏者、最初期のオペラ作曲家としても活躍しました。ヤコポ・ペーリとならんでモノディー様式の代表的な音楽家の一人として知られています。

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2009年03月15日

パガニーニ

3月13日の記事で、ピアノヂュオ「2台ピアノのためのパガニーニ変奏曲」をご紹介しましたが,この変奏曲のもととなった曲は、イタリアの作曲家でヴァイオリニストであるニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini,1782-1840)『24の奇想曲(Capricci 24)』第24番「主題と変奏(Tema con variazioni) イ短調」です。



パガニーニの作品は、のちのロマン派と呼ばれるリストやシューマンなどの作曲家に多大な影響を与えました。ルトスワフスキのように様々な作曲家がその主題によるパラフレーズや変奏曲を作りました。『24の奇想曲』第24番「主題と変奏 イ短調」も、ルトスワフスキのほかにリスト、ブラームス、ラフマニノフなど数多くの作曲家が変奏曲を作っています。
posted by とある音楽家 at 22:41| Comment(1) | 作曲家たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

ピアノデュオ

ピアノデュオ(二重奏)は、二人のピアニストが同時に演奏することです。1台のピアノを二人で演奏する「連弾」もあれば、2台のピアノでそれぞれ演奏することもあります。ここで、ショパンと同じポーランド出身の作曲家でありピアニストでもあるヴィトルト・ルトスワフスキ(Witold Lutosławski,1913-1994)の初期の作品、「2台ピアノのためのパガニーニ変奏曲」(Paganini variations for two pianos)をお聴きください。







二つの動画を見比べてください。ピアノ2台で演奏する場合、前者のように対角においたり、後者のように並べておくことがあります。対角におくと目と目で合図ができます。いわゆるアイコンタクトですね。並べておくとお互いの指や手、腕の動きが確認できます。(ただし客席から向かって奥のピアニストは目立ちませんが)

ピアノをどう配置しようと二人のピアニストの息がぴったり合っていないと、いい演奏にはなりません。逆に息がぴったり合うとオーケストラを凌ぐ迫力になります。なにせ同時に20もの音が出せるのですから。二人のピアニストの才覚が足し算でなく掛け算となればベストなのですが、場合によってはお互いの個性が強すぎて足を引っ張り合う結果になってしまうこともあります。いずれにしても、ピアノデュオのピアニストは、ピアニストとしての才覚のほかパートナーと息を合わせる才覚も兼ね備えてないといけません。

posted by とある音楽家 at 08:56| Comment(2) | よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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