2009年03月31日

ハンガリー舞曲

ドイツ・ハンブルク生まれウィーンで活躍したヨハネス・ブラームス(JohannesBrahms,1833-1897)作曲ハンガリー舞曲第5番(Hungarian Dance No.5)です。当時はオーストリア=ハンガリー帝国でオーストリアとハンガリーとの交易が盛んな時期でした。ブラームスもハンガリーを旅をしながら、ハンガリーのあちらこちらで聴いた民俗音楽をスケッチしていきました。それらまとめ、編曲したのがこのハンガリー舞曲です。ハンガリー舞曲は21番までありますが、,とりわけこの第5番が有名です。TVのバラエティ番組やCMでも多く使われています。もともとピアノ連弾用に作られたのですが、後世別人がオーケストラ用に編曲しました。

ピアノ連弾


オーケストラ
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2009年03月29日

ヘンデル2

作曲家ゲオルク・ヘンデル(Georg Händel 1685-1759)は、オペラを約40、オラトリオ(宗教色のあるオペラ)を約30も作りあげました。現在ではオペラ・オラトリオとして上演されることは少ないのです。しかし、それらの中には数々の名曲があります。歌い継がれています。

オペラ「リナルド(Rinaldo)」よりアリア「私を泣かせてください(LASCIA CH'IO PIANGA)」


オペラ「セルセ(Serse)」よりアリア「懐かしい木陰よ(Ombra mai fù)」
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2009年03月28日

ヘンデル

作曲家ゲオルク・ヘンデル(Georg Händel 1685-1759)2009年はヘンデル没後250年にあたります。命日にはヘンデルの代表作をご紹介するとして、記念の年なので数回に分けてたエピソードをご紹介しましょう。

もともとヘンデルはドイツのザクセン=アンハルト州のハレというところで生まれました。1710年ハノーファー選帝侯の宮廷楽長となりました。ロンドンに演奏旅行中、ロンドンがお気に入りだったのでしょう宮廷楽長の地位はそのままにロンドンに居残ります。(1712年)ハノーファー選帝侯がヘンデルに再三再四、帰国命令を出しますが無視します。

ロンドン暮らしを謳歌していたヘンデルにとって衝撃のニュースが入ってきます。なんと1714年のイギリスのアン女王の死去に伴い、ハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることになったのです。さぁどうしましょう、当然ハノーファー選帝侯はカンカンに怒っているはず

そこでヘンデルは一計を案じます。ハノーファー選帝侯(ジョージ1世)がテムズ川での舟遊びの際にヘンデルが演奏すること。そのための曲を作りましたが,それが今日ご紹介する「組曲水上の音楽(Water Music)」です。そのおかげかどうか、どうやら和解に達したようです。その後、ヘンデルは1727年イギリスに正式に帰化しました。

組曲水上の音楽(Water Music)は、3つの組曲から構成されています。第1組曲はオーボエ・ホルン主体、第2組曲はトランペット主体、第3組曲はフルート・リコーダー主体となっています。 このうちよく聴かれる第2組曲より「アラ・ホーンパイプ(Alla Hornpipe)」をどうぞ。テムズ川の上で謝っているヘンデルの姿が思い浮かびますか




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2009年03月24日

ワルキューレの騎行

ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner,1813-1883)が生涯をかけて作り上げたオペラ「ニーベルングの指環」。これまでにワーグナー作品として「ローエングリン」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を紹介しました。このオペラ「ニーベルングの指環」の上演時間は、なんと15時間もあるのです。史上最も長いオペラといっていいでしょう。当然一夜だけでは終わりません。「ニーベルングの指環」は「序夜・ラインの黄金」「第一夜・ワルキューレ」「第二夜・ジークフリート」「第三夜・神々の黄昏」の4部に分かれています。それぞれ単体で上演されることが多いのですがバトロイト音楽祭では、4夜連続で「ニーベルングの指環」が上演されます。(途中2日お休みが入ります)バトロイト音楽祭が開催されるバトロイト劇場はドイツ・バイエルン州にあって、ワーグナーが「ニーベルングの指環」を上演するために建てた劇場なのです。普通のオペラ劇場とは異なり、客席からはオーケストラピットが見えません。舞台のみ見えます。音楽だけがどこからともなく聞こえてきます。

「ニーベルングの指環」は、いまでいうRPG(ロールプレイングゲーム)のようなものです。全4夜見こなすためには攻略本が必要です。ワーグナーは、ライトモティーフ(Leitmotiv)示道動機といわれる、登場人物のセリフや歌の内容とは関係の無い音楽を重層的に流し、物語を暗示的にかつ奥行き深く展開させていくのです。例えば、役者が「ごめんね」と謝っているのに、音楽は、のんきで陽気な曲を流す、つまり全然反省していないじゃん!といった感じです。

このうち第一夜「ワルキューレ(Die Walkure)」より第三幕「ワルキューレの騎行(Ride of the Valkyries)」です。
ワルキューレとは、「戦死者を選ぶ者」という意味です。「ワルキューレの騎行」はワルキューレ達が勇士の遺体をヴァルハラに運ぶシーンです。



2009年3月20日よりよりブライアン・シンガー監督、トム・クルーズ主演で映画「ワルキューレ(VALKYRIE)」 が上演されています。
内容は1944年ヒトラー暗殺計画が未遂に終わった際、反乱側が内乱鎮圧計画「ワルキューレ」を利用して権力掌握を計ったものです。
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2009年03月23日

ニコライ・ルービンシテイン

今日は、ロシアの作曲家でありピアニストであったニコライ・ルービンシテイン(1835-1881年3月23日)が逝去した日です。ニコライ・ルービンシテインといわれても?という方が多いでしょう。2月9日の記事でチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」をご紹介しました。


その記事は、ロシアの作曲家チャイコフスキーが友人のニコライ・ルービンシテインと喧嘩して、仲直りしたという話しでした。しかし、そのニコライ・ルービンシテインが46歳という若さで亡くなったのです。チャイコフスキーが友人の死を悼んでピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に(Tchaikovsky Trio a moll Op.50 for Violin Cello and Piano,1882)」を作曲しました。


ヴァイオリンとチェロととピアノの三重奏です。全体的に悲しい曲想になっています。聴きどころは第2楽章その2です。民俗音楽調で明るく始まります。しかし次第に悲しみが支配し始めます。これまで悲しみをこらえて気丈に振舞っていたのが一気にこらえ切れなくなってしまいます。涙があふれてきます。泣いて泣いて泣きつかれて、そして最後の最後、消え入るように静かに音楽が終わります。


第1楽章その1


第1楽章その2


第2楽章その1


第2楽章その2
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2009年03月22日

セザール・フランク

ベルギー東部の古都リエージュ出身でフランス・パリを中心に活躍した作曲家セザール・フランク(César Franck,1822-1890)です。フランクの父はフランクをピアニストにしようと幼いころからピアノの英才教育を受けめす。

12歳でリエージュ音楽院を卒業すると家族ごとパリに移住し、フランクはパリ音楽院に入学します。しかしフランクは、ピアニストとしての才能は開花せずに作曲に興味をもちます。

1842年、フランクをピアニストして育てようとしたフランクの父は、そんなフランクに失望しパリ音楽院を退学させ故郷に引き上げます。

1844年、再度単身でパリに移り住みます。作曲家としての評価は低く、協会のオルガン奏者などを収入の糧としていましたが、生活は決して楽ではありませんでした。苦労しながらも作曲家としての才能を徐々に開花させていきました。

1871年、フランクはサン=サーンスやフォーレらとともに「フランス人によるフランスの音楽、そして正当な器楽曲の発展」を目的にフランス国民音楽協会を設立します。

1872年、パリ音楽院のオルガン教授に就任します。フランクは門下生たちに多大なる影響を与えます。

そして円熟期を迎えた64歳のときヴァイオリン・ソナタ(Violin Sonata in A major/sonate pour violon et piano,1886)を発表します。この曲は、同郷の後輩で、当時有名なヴァイオリニストであったウジェーヌ・イザーイ(1858〜1931)の結婚を祝うためのプレゼントとして作られた曲です。「ささやかな手書き譜ひと束、わたしはここに心のすべてをこめました。」この言葉が添えられました。このソナタは19世紀後半のヴァイオリンソナタの最高峰の一つとされ、作曲家としての名声を一気に高めました。評価されていなかった若かりしころの作品までもが高い評価を得るようになりました。

フランクの作品は、リストやワーグナーなどのドイツ音楽の影響を強く受けました。しかし単なるドイツ音楽を写実したものではなくそれを発展させ、ドイツ音楽とはまったく違う様式の音楽を生み出しました。フランクは、フランス近代音楽の生みの親と言われています。また、フランクは、偉大なる作曲家であるとともに偉大なる指導者でもありました。フランクの門下生にはボレロで有名なラヴェルやドビュッシーがいます。のちにドビュッシーはフランクに対立するようになりますが、フランクの没後、ドビュッシーはフランクについてこう語っています。「フランクは、人生から借りうけるものを、ついには名をすてるまでにいたる謙遜な態度で、芸術にかえす」





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2009年03月19日

バルトーク

ハンガリー出身の作曲家バルトーク・ベーラ(Bartok Bela,1881-1945)ハンガリーは氏名の順が日本と同じで、苗字がバルトーク、名前がベーラになります。

第二次世界大戦開始後、アメリカニューヨークに移住、故郷ハンガリーに帰ることなく同地で没しました。バルトークの青年期、ベートヴェンやモーツァルトに傾注し、ウィーンの音楽院で学びますが、やがて祖国ハンガリーの民謡や伝統音楽に興味を持つようになりハンガリーの首都ブダペストにもどり民族音楽の研究に熱中します。そういった意味でバルトークは、作曲家でもあるのですが民俗音楽学者としても活躍しています。民俗音楽はハンガリーのみならず、東ヨーロッパから北アフリカまで及びました。

ルーマニア舞曲 (Romanian Folk Dances) ピアノ版です。


バルトークの作曲技法は、黄金比やフィボナッチ数列を応用していると言われ、それが現代のジャズにも生かされているようです。

ちなみに フィボナッチ数列は[1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,143,・・・]黄金比は、1:1.618、もっとも美しいといわれる比率であり、自然界で見られたり、エジプトのピラミッドの高さと底辺の比率、レオナルド・ダ・ヴィンチも発見していたという。バルトークの曲の中にダ・ヴィンチコードが含まれているかも

音楽と数学に興味があるかたはぜひ次の書籍をお勧めします。『バルトークの作曲技法』エルネ・レンドヴァイ (著), 谷本 一之 (翻訳)出版社:全音楽譜出版社(ISBN:4118000806)発行日:1978年7月25日サイズ・価格:124ページ ¥2,000(税別)
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2009年03月16日

アヴェ・マリア

「アヴェ・マリア」は、聖母マリアに祈祷をささげるときのことばです。日本語に訳すと「おめでとう,マリア様」または「こんにちは,マリア様」などという意味になります。

聖母マリアへの祈祷文をもとにして、カッチーニ、モーツアルト、シューベルト、モーツアルト、バッハ、グノー、ビゼー、ストラビンスキー、サン=サーンスなど多くの名だたる作曲家がそれぞれの「アヴェ・マリア」を作っています。このうち、シューベルト、グノー、カッチーニの「アヴェ・マリア」が三大「アヴェ・マリア」と呼ばれています。

今日は、一番聴き馴染みのあるジュリオ・カッチーニ(Giulio Caccini,1545-1618)の「アヴェ・マリア」をお聴きください。カッチーニは、イタリア・ルネサンス音楽末期、バロック音楽初期の作曲家であり歌手、ハープ奏者、最初期のオペラ作曲家としても活躍しました。ヤコポ・ペーリとならんでモノディー様式の代表的な音楽家の一人として知られています。

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2009年03月15日

パガニーニ

3月13日の記事で、ピアノヂュオ「2台ピアノのためのパガニーニ変奏曲」をご紹介しましたが,この変奏曲のもととなった曲は、イタリアの作曲家でヴァイオリニストであるニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini,1782-1840)『24の奇想曲(Capricci 24)』第24番「主題と変奏(Tema con variazioni) イ短調」です。



パガニーニの作品は、のちのロマン派と呼ばれるリストやシューマンなどの作曲家に多大な影響を与えました。ルトスワフスキのように様々な作曲家がその主題によるパラフレーズや変奏曲を作りました。『24の奇想曲』第24番「主題と変奏 イ短調」も、ルトスワフスキのほかにリスト、ブラームス、ラフマニノフなど数多くの作曲家が変奏曲を作っています。
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2009年03月13日

ピアノデュオ

ピアノデュオ(二重奏)は、二人のピアニストが同時に演奏することです。1台のピアノを二人で演奏する「連弾」もあれば、2台のピアノでそれぞれ演奏することもあります。ここで、ショパンと同じポーランド出身の作曲家でありピアニストでもあるヴィトルト・ルトスワフスキ(Witold Lutosławski,1913-1994)の初期の作品、「2台ピアノのためのパガニーニ変奏曲」(Paganini variations for two pianos)をお聴きください。







二つの動画を見比べてください。ピアノ2台で演奏する場合、前者のように対角においたり、後者のように並べておくことがあります。対角におくと目と目で合図ができます。いわゆるアイコンタクトですね。並べておくとお互いの指や手、腕の動きが確認できます。(ただし客席から向かって奥のピアニストは目立ちませんが)

ピアノをどう配置しようと二人のピアニストの息がぴったり合っていないと、いい演奏にはなりません。逆に息がぴったり合うとオーケストラを凌ぐ迫力になります。なにせ同時に20もの音が出せるのですから。二人のピアニストの才覚が足し算でなく掛け算となればベストなのですが、場合によってはお互いの個性が強すぎて足を引っ張り合う結果になってしまうこともあります。いずれにしても、ピアノデュオのピアニストは、ピアニストとしての才覚のほかパートナーと息を合わせる才覚も兼ね備えてないといけません。

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2009年03月12日

相棒7

まずはこの曲をお聴きください。


どこかで聴かれたことがあるのではないでしょうか。テレビ朝日「相棒7」(蟷螂たちの幸福)2007年11月7日放送のBGMとしても流れていました。


この曲はフランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet,1838-1875)作のオペラ「真珠採り(Les Pêcheurs de Perles)」より第1幕 「耳に残るは君の歌声(Je crois entendre encore)」です。ビゼーは36歳の若さで亡くなりました、その短い生涯のうちに30をこえるオペラ、オペレッタ、 劇付随音楽などの舞台音楽を残しました。そのうちオペラ「カルメン」や劇付随音楽「アルルの女」が有名です。オペラ「カルメン」からさかのぼって10年前にオペラ「真珠採り」を作りました。

日本では「真珠採り」は「カルメン」ほど上演回数は多くありませんし知名度も高くありませんが、欧米での上演回数は少なくありません。この「耳に残るは君の歌声」は、よく単独でも歌われますし、「耳に残るは君の歌声」というタイトルの映画にもなりました。「カルメン」はスペインを舞台とした物語ですが、この「真珠採り」は、まだ未開発だった頃のセイロン(現在のスリランカ)が舞台です。どことなく東洋のエキゾチックさが漂っています。

主人公である漁師「ズルガ」が漁師達の安全と豊漁の祈りを神に奉げるためにやってきた尼僧の歌声を聴きます。その歌声は「ズルガ」の昔の恋人だったことに気がつきます。「ズルガ」の恋心に再び火がついたときのアリアです。その後、二人は悲しい運命が待っているのです。
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2009年03月11日

ドン・カルロ

なぜかヴェルディ(1813-1901)作のオペラの初演は3月に多いようです。

初演は1867年3月11日パリ・オペラ座でした。

「ドン・カルロ(Don Carlo)」は、16世紀スペインの宗教対立の激化による抗争の中での史実を元にして作られています。スペインの王子ドン・カルロにはエリザベッタというともに将来を誓い合った婚約者がいました。しかし運命のいたずらか、エリザベッタは、国王である父と結婚してしまいます。やがてドン・カルロは、フランスのフランドル地方を中心に広まった新教に傾注していき、旧教徒の父と対立していきます。父はドン・カルロを幽閉するばかりか新教徒たちの弾圧をはじめます。「ドン・カルロ」は獄死してしまうという悲しい物語です。 この作品はもともとフランス語5幕版でしたが、その後ヴェルディ自身でイタリア語4幕版に改訂されたり、後世、多くの人たちによって改訂を繰り返されています。現在でもフランス語5幕版、イタリア語4幕版とも上演されています。

悲劇の主人公「ドン・カルロ」を演じる歌手は、テノール歌手の醍醐味でもあります。三大テノールといわれたパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスそれぞれのドン・カルロをどうぞ

ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti,1935-2007)

プラシド・ドミンゴ(Plácido Domingo,1941-)


ホセ・カレーラス(Jose Carreras,1946-)



いずれも、オペラ「「ドン・カルロ」第二幕第一場より「ああ、われわれの魂に、ともに行きともに死のう(Dio che nell'alma)」オペラ「「ドン・カルロ」で一番有名な曲です。ドン・カルロの親友であるロドリーゴ(バリトン⇒テノールよりも低い声)が慰めに来ている場面での二重唱です。
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2009年03月10日

サラサーテ

今日は、スペイン北東部フランス国境に近いバスク地方パンプローナに生まれた作曲家でありヴァイオリニストであるパブロ・サラサーテ(PabloSarasate,1844年3月10日-1908)のお誕生日です。両親は経済的にさほど裕福ではなかったものの音楽には大変理解があり、サラサーテは生まれたときからヴァイオリンに接していました。幼いころから才能が開花し、8歳のときに初公演、10歳のときにはスペインのイザベラ女王の前で演奏を披露しました。そのとき女王からヴァイオリンの名器といわれる「ストラディヴァリ」を授与されています。その後、パリ音楽院に進学します。「動物の謝肉祭」や2月22日の記事で紹介した「序奏とロンド・カプリチオーソ」のカミーユ・サン=サーンス(CamilleSaint-Saens,1835-1921)とは親友で、よく一緒に演奏旅行に出かけました。ヴァイオリニストでもあったサラサーテの作る曲のほとんどが、ヴァイオリン曲で、フランスやスペインの民謡や舞曲の要素を盛り込みました。


さて、今日はサラサーテ作品の中でも最も有名な「ツィゴイネルワイゼン(Zigeunerweisen,1878)」 をどうぞ。曲名もご存知の方が多いと思いますし、またテレビのBGMなどでよく使われているので何度も耳にされた曲だと思います。ドイツ語でツィゴイネル(Zigeuner)「ジプシー」、ワイゼン(weisen)「歌」で「ジプシーの歌」を意味します。ここでいうジプシーとは「ロマ族ジプシー」で、ロマ族は、インドからヨーロッパ、北アフリカへと遊牧していました。一部は定住したものもいます。しかしロマ族は古くから偏見・差別・迫害を受けていました。例えば、,中世ヨーロッパのある国では「ロマ族を殺しても罪にはならない」という法律ができたり、1999年コソボ紛争ではロマ族住民の排斥が紛争の一因となりました。

しかしロマ族のもつ音楽は、各地の民俗音楽と融合していきます。現在のフラメンコもそのうちの一つです。
「ツィゴイネルワイゼン(Zigeunerweisen,1878)」 、そのロマ族の悲哀、衝動、情熱がハンガリー舞曲に乗って表現されています。
サラサーテ本人の演奏(1904)による「ツィゴイネルワイゼン」です。オリジナルはヴァイオリンと管弦楽ですが、これはヴァイオリンとピアノでの演奏です。




もう一つは,ヴァイオリンと管弦楽でお聴きください。
先日の2月22日の記事などで何度もご紹介しているヴァイオリン:イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman,)です。
指揮:ローレンス・フォスター,ロイヤルフィルハーモニーオーケストラ(RoyalPhilharmonic Orchestra)の演奏でお聴きください。


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2009年03月09日

ヴェルディ:ナブッコ

ヴェルディは生涯26ものオペラ作品を作りました。すでに「アイーダ」「Falstaff」を紹介しました。3月6日の記事でヴェルディ作オペラ「椿姫」初演をご紹介したばかりですが、「椿姫」初演の11年前、1842年3月9日ヴェルディ作オペラ「ナブッコ(Nabucco)」がミラノ・スカラ座で初演されました。 「Falstaff」は、ヴェルディ最後の作品でしたが、この「ナブッコ」は3作目のオペラで、若きヴェルディにとって初めて成功した作品で出世作と言っていいでしょう。

物語は旧約聖書をもとにされているので日本人には馴染みにくいのですが、壮大なスペクタル仕掛けになっています。 特に第三幕第二場の合唱曲「ゆけ、わが想いよ、黄金の翼に乗って(Va, pensiero,sull'ali dorate)」この曲は、壮大でかつ感動的で、オペラのみならず単独で演奏される機会も多いです。



指揮:ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli,1946-2001)ドレスデン・ガラ・コンサート(Classics On A Summer's Evening)の模様です。このあとシノーポリは,、2001年4月20日ベルリン・ドイツ・オペラで「アイーダ」を指揮中、第3幕の所で心筋梗塞で倒れ急逝急逝されました。
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2009年03月08日

魔法使いの弟子

「魔法使いの弟子」といえば何を連想するでしょうか。真っ先に思い浮かぶのはミッキーマウスの登場するディズニー映画ではないでしょうか



もともとは交響詩「魔法使いの弟子」(L'apprenti sorcier, scherzosymphonique,1897)という管弦楽曲です。フランスの作曲家ポール・デュカス(Paul Dukas,1865-1935)がドイツの文豪・ゲーテの詩「魔法使いの弟子」を管弦楽で表現しました。デュカスはラヴェルやドビュッシーとも親交がありました。
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2009年03月07日

モーリス・ラヴェルの誕生日

今日はフランスの作曲家モーリス・ラヴェル(Maurice Ravel,1875年3月7日-1937)の誕生日です。以前、1月27日の記事でバレンボイム指揮の「ボレロ」をご紹介しました。


ラヴェルはフランスの南西部、スペインの故郷に近いバスク地方のシブールという小さな村で生まれ育ちました。経済的にも裕福な家庭で、幼いころから音楽教育を受け、家族でパリに移住しラヴェルはパリ音楽院に進学します。ここまでは順風でしたが、数々のコンクールで理不尽な評価を受けたり、先輩格に当たるドビュッシー作品の盗作を疑われたり、その道は平坦なものではありませんでした。また第一次世界大戦に参戦もしました。その後、記憶や言語障害、さらには運動障害の病気に悩まされ続けながらも数多くの作品を残していきました。ラヴェルは、フランスの古典的旋律と印象主義ラヴェルの代表作はなんと言ってもバレエ組曲「ボレロ」(1928)でしょう。


さて、今日はラヴェルのピアノ作品「水の戯れ(1901,Jeux D’Eau)」をお聴きください。この曲は、パリ音楽院時代の恩師、作曲家ガブリエル・フォーレに献呈されました。ラヴェルがドビュッシーと同じくフランス印象派に属するのかどうか、いまでも議論が分かれています。ラヴェルを印象派だと主張する人たちはこの「水の戯れ」が音楽の分野におけるフランス印象主義を宣言した作品であると言っています。いずれにしてもラヴェルにとっていわゆるターニングポイントの曲と言っていいでしょう。それにしてもラヴェルは「海原の小舟」、「オンディーヌ」(水の精)、「水に映る影」(水の反映)』など水に関する曲を数多く残しています。

ロバート・シュミッツ(Robert Schmitz,1889-1949)演奏でどうぞ。



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2009年03月06日

ロリン・マゼール

今日はフランス出身で現在アメリカを拠点に世界中で活躍している指揮者ロリン・マゼール(Lorin Maazel,1930年3月6日-)の79歳の誕生日です。ロリン・マゼールは、1月31日の記事「アイーダ凱旋行進曲」でもご紹介しました。

ロリン・マゼールは、指揮者であるとともにヴァイオリニスト・作曲家でもあります。 他の音楽家たちと同様、順風満帆ではなく栄光と挫折を繰り返し味わってきました。ウィーンフィルの新年恒例のニューイヤーコンサートを11回(1980-1986,1994,1996,1999,2005)指揮したことをはじめとして、1982年にはウィーン国立歌劇場の総監督まで昇りつめました。しかし、音楽性を高めるあまりにオペラの公演回数を減らすことによってウィーン国立歌劇場の総監督を1984年解任されました。

また、偉大なる指揮者カラヤンの後継者と評されながらも、ベルリンフィルの当時の音楽監督であったカラヤンの後任になれなかったことなど数々の挫折を味わいました。

その後、2002年にニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任しました。現在、彼は人道的組織の慈善のための活動も積極的に行っています。先般、北朝鮮の平壌にてニューヨーク・フィルを率いて指揮したことは記憶に新しいところです。


1月11日の記事でご紹介したオペラ「椿姫」は、1853年3月6日ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演されました。残念ながら準備不足のため初演の評価は散々でした。しかし現在では最も上演回数の多い作品になっています。それでは,ロリン・マゼール指揮でヴェルディ作オペラ「椿姫」より第一幕の見せ場である椿姫である「ヴィオレッタ」に恋した青年アルフレード・ジェルモンが一途な愛を語るアリア 「O mio rimorso」をどうぞ
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2009年03月05日

ショパン

3月1日の記事でポーランドの作曲家フレデリック・ショパン(Frédéric Chopin,1810年3月1日-1849年10月17日)のお誕生日で紹介しました。その続き話しを

ショパンはのポーランドの首都、ワルシャワで生まれ育ちました。ショパンの父は教育者でした。しかしショパンの父はショパンが学校生活に馴染めないと判断するや学校に通わせないようにします。その後ショパンは、パリで活躍し、パリで没します。しかしショパンの心は祖国ポーランドを思い続けていました。

遺言によりショパンのなきがらはワルシャワに帰ります。心臓があるワルシャワの聖十字教会。一度危機が訪れたのです。それはナチスドイツの侵攻のときです。ショパンの曲に魅いられていたドイツ兵がこっそりと別の場所に移動していたのです。後日、聖十字教会は砲撃によって崩壊されましたがこのドイツ兵のおかげでショパンの心臓は無事でした。現在は元の位置に戻され、安らかに眠っています。

さて、今日はショパンのバラードでお楽しみください。バラードは、現在ではポピュラー音楽の曲調をさす言葉ですが、クラシック音楽では「譚詩曲」といわれ「物語風音楽」または「歌は無いけど詩を奏でる器楽曲」とでもいいましょうか。ショパンはバラードを4曲作っています。この第3番は4曲の中でも一番優雅で洗練されて、一番ポピュラーだと言われています。

バラード第3番変イ長調(Ballade no.3, Op.47)
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2009年03月04日

ヴィヴァルデイ

今日は、ヴェネチア出身アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi, 1678年3月4日-1741)の誕生日です。ヴィヴァルディといえば四季(Le Quattro Stagioni (The Four Seasons))ですね。

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2009年03月03日

ラ・ボエーム

今日3月3日、日本では「ひな祭り」「桃の節句」ですね。そしてイタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini,1858-1924)作オペラ「ラ・ボエーム」の日です。


プッチーニといえば先日荒川静香選手が使用した曲としてオペラ「トゥーランドット」を紹介しました。他にもオペラ「蝶々夫人」など有名なオペラを残しています。 ところで今日3月3日は、プッチーニの誕生日でも命日でもなく,ましてや「ラ・ボエーム」初演の日でもありません。
では,なんにゆかりがあるのか?というと「ラ・ボエーム」に「ミミ」という女性が登場します。それにあやかって、トアルオンガクカが勝手ながら3月3日を「ラ・ボエーム」の日とさせていただきました。 「ラ・ボエーム」は、詩人「ロドルフォ」とお針子「ミミ」の悲しい恋の物語です。全四幕の内、第一幕ミミのアリア「私の名はミミ(Sì, mi chiamano Mimì)をどうぞ「ロドルフォ」と「ミミ」が出会って愛が芽生えたときの心情を歌った曲です。


お針子「ミミ」役は、イタリア出身のソプラノ歌手ミレラ・フレーニ(Mirella Freni,1935-)です。詩人「ロドルフォ」役は、イタリア出身のテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti,1935-2007)です。先日トゥーランドットにも登場しました。 フレーニとパヴァロッティは同い年で同郷で、いわゆる幼なじみです。しかも二人の母親とも同じ、たばこ工場で働いていたのです。


余談ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet,1837-1875)のオペラ「カルメン」が1875年3月3日、パリで初演されています。
posted by とある音楽家 at 10:30| Comment(3) | ゆかりの日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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