2009年03月22日

セザール・フランク

ベルギー東部の古都リエージュ出身でフランス・パリを中心に活躍した作曲家セザール・フランク(César Franck,1822-1890)です。フランクの父はフランクをピアニストにしようと幼いころからピアノの英才教育を受けめす。

12歳でリエージュ音楽院を卒業すると家族ごとパリに移住し、フランクはパリ音楽院に入学します。しかしフランクは、ピアニストとしての才能は開花せずに作曲に興味をもちます。

1842年、フランクをピアニストして育てようとしたフランクの父は、そんなフランクに失望しパリ音楽院を退学させ故郷に引き上げます。

1844年、再度単身でパリに移り住みます。作曲家としての評価は低く、協会のオルガン奏者などを収入の糧としていましたが、生活は決して楽ではありませんでした。苦労しながらも作曲家としての才能を徐々に開花させていきました。

1871年、フランクはサン=サーンスやフォーレらとともに「フランス人によるフランスの音楽、そして正当な器楽曲の発展」を目的にフランス国民音楽協会を設立します。

1872年、パリ音楽院のオルガン教授に就任します。フランクは門下生たちに多大なる影響を与えます。

そして円熟期を迎えた64歳のときヴァイオリン・ソナタ(Violin Sonata in A major/sonate pour violon et piano,1886)を発表します。この曲は、同郷の後輩で、当時有名なヴァイオリニストであったウジェーヌ・イザーイ(1858〜1931)の結婚を祝うためのプレゼントとして作られた曲です。「ささやかな手書き譜ひと束、わたしはここに心のすべてをこめました。」この言葉が添えられました。このソナタは19世紀後半のヴァイオリンソナタの最高峰の一つとされ、作曲家としての名声を一気に高めました。評価されていなかった若かりしころの作品までもが高い評価を得るようになりました。

フランクの作品は、リストやワーグナーなどのドイツ音楽の影響を強く受けました。しかし単なるドイツ音楽を写実したものではなくそれを発展させ、ドイツ音楽とはまったく違う様式の音楽を生み出しました。フランクは、フランス近代音楽の生みの親と言われています。また、フランクは、偉大なる作曲家であるとともに偉大なる指導者でもありました。フランクの門下生にはボレロで有名なラヴェルやドビュッシーがいます。のちにドビュッシーはフランクに対立するようになりますが、フランクの没後、ドビュッシーはフランクについてこう語っています。「フランクは、人生から借りうけるものを、ついには名をすてるまでにいたる謙遜な態度で、芸術にかえす」





posted by とある音楽家 at 13:12| Comment(0) | 作曲家たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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